一食口として創造原理に生きる

信仰、創造原理、教会の事、日々感じた事を書いていきます。

バタフライエフェクト

バタフライエフェクト

小さな変化が時間の経過とともに大きな変化になる事

蝶の羽ばたきが地球の裏側で竜巻を引き起こす

 

 

去年から今年にかけて、2世と後藤さんがそれぞれ主催したシンポジュウムや本部の記者会見がありました。内容は省略しますが、その中で思った事があります。

 

それはどんな形でも根気強く発信していく事が大切だと思います。

 

各シンポジュウムではいずれもメディアの方々が取材に来られています。特に今回の本部の記者会見での質問者に朝日新聞の記者が初めに質問に立ち、徳永先生のポストを引用して質問をしていた事に対して、ポストはチェックしているのだなと思いました。

 

普段私たちがポストしている内容ももしかしたらチェックされているかもしれませんね。それでここで言いたい事は何かというと、シンポジュウムや記者会見が後日記事にならなかったとしても、心配は無用です。

 

実際に足を運んで参加した人、記者やジャーナリストの方々には内容がはっきり伝わっているという事です。中には毎回参加されている記者もいます。なのでこの地道に思える事や、一人一人の発信がいずれ大きなうねりになると確信します。

 

今は大変かもしれませんが、ピンチはチャンスになりえます。堂々と歩んでいきたいですね。

 

解散命令の請求に関して思う事

先日教会の本部の方で記者会見が開かれました。エックス上でも意見が分かれる内容ですが、思った事を書いていきたいと思います。

この会見をするにあたって本部も非常に悩み、表に出てこない情報や資料もあると思うし、そういう事を踏まえての会見だったと思います。

 

結論としては、私は本部の発表を信じて行こうという事にしました。

 

教会側としては質問権を7回も行使されて、その度にそれに関連する資料を集めて提出する事と、一体あと何回やるのだろうかと、終わりの見えない事に対して非常にストレスになると思います。その積み重ねと、初めから何故こんな事をする事になったのかとの疑問や憤りが重なって、そこに携わった職員の方々の苦労も心情も汲み取った上での事だったと私は思います。

ただ岡野さんの発言は、両者の主張に食い違いがあるという言葉に留めておいても良かったかなと思いました。

 

 

 

報道について

何かどうしても気になってしまうのは、なぜか?今日は過料についての報道があったし、見ること自体ストレスになっている。

 

自分ではどうしようもない事だけどなにか出来る事はないかと考えてますが、それは本部の対応を信じて、任せる事が良いと思います。それよりも各個人が本当に建設的な、創造原理の歩み徹底する事だと考えます。そうすればそんな報道には左右されなくなるのでは無いでしょうか?

 

 

正攻法の重要性

waymaker

https://www.youtube.com/results?search_query=waymaker

と言う歌があります。この曲を教会ではよく徹夜祈祷会用に歌詞と曲もアレンジして歌われますが、私は、父母様は道を創り歩まれた開拓者、先駆者だと感じました。

この日は大約事の録画を視聴していて、私たちはそれを受け継ぎ、同じように自ら道を創り挑戦して行く、天一国主人として生きるのだと力が湧いて来ます。

 

ピンチは最大のチャンス

 

解散命令請求に関する報道がでましたが、私は逆にチャンスだと捉える事にしました。

 

コーチング的にもそうですが、例えば営業の実績でも最高の事が起こる前には、その前兆があると言います。

その中で私は創世記の神様がカインに言った言葉が思い起こされます

 

日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
6 そこで主はカインに言われた

「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」

特に7節のこの聖句は今の私たちにとって大切な聖句かも知れません。少なくとも私には大切だと感じました。

あまりにも理不尽に感じる出来事が多い中で私に出来る事は何かを考えると、お父様の第一弟子の金元弼(キム ウォンピル)先生の言葉が当てはまります。

 

familyforum.jp

 

出来ることとはなにか?

 

あくまでも正攻法で挑戦する事だと思います。

 

私が出来る事としてら

  1. 創造原理に生きる事
  2. 最後まで気を抜かない
  3. あえて最大のチャンスと捉える事
  4. 相手を攻撃、批判しない

創造原理は人生の目的そのものです。3大祝福に向かって歩む事が何より大切です。

 

最後まで気を抜かない、これは最終防衛ラインを突破されるまで諦めないという事です。最終防衛ラインとは解散命令の請求を政府が裁判所に出してしまった場合、最高裁まで行く可能性もあり得るし、そこで下る判決まで気を抜かないという事だと考えます。

 

あえて最大のチャンスと捉える、これは個々人で出来る事は違いますが、これは教会改革を加速してやっていく非常にいい機会だと考えます。教会でやっているイベントをオープンにする事は出来るかもしれません。チャリティーバザーなどは良いですね、地域の方が来るので雰囲気が分かると思います。

 

相手を攻撃、批判しない、これは対立する事は何も生まないからであり、他人のせいにする事は、自分は全く悪くない、あいつが全部悪いんだと考えて、改善の余地をなくす行為だと思うからです。

 

ただ本当に黙ってられない事もあるし、攻撃、信教の自由を脅かす奴に対しては一信者として訴えたくなる事も多々あるのは正直な気持ちです。

だからと言って手段を選ばなくなったらそれこそ終わりなので、少なくとも私は、神様がカインに言った言葉の通りに堂々としていれば良いのです。

 

各個人でも出来る事をやっていきましょうね。正道を目指して。

謙虚となって再出発

今日は警備の仕事で些細ではありますが、ちょっと心に残る否定的な出来事がありました。

それは普段行っていない現場で私はいつものように隊員に立ち位置を指示した時に、1度目はよく分からなかったのか動かなくて、2度目の指示は、なんで?と聞き返されました。

その時私は、「分かりました。もういいです」と言って諦めました。

 

その隊員は何気ない言葉だったかもしれませんが、私にとってはそれを拒否されたと捉えました。

私も10年以上長く同じ仕事をやっていると、資格も持っているし、大体の隊員はある意味無条件で指示に従ってくれます。

 

警備の仕事自体離職率が高い職種なので、同じ仕事を長くやること自体なかなか無い事です。しかも私の印象では大体の警備の仕事に就く人は、かなりの確率で受け身体質の人が多く見られます。まして隊長なんてやりたがる人は皆無なので基本は指示に従ってくれます。

 

だからいつものようにやっていたら想定外の事に驚きました。経験が1年位の隊員にこんな事言われるとは思わなかったし、私はその隊員に前に会った時の印象の苦手意識が残っていたのだと思います。

 

今こうしてブログで冷静に振り返ってみれば、ちゃんと理由を言って丁寧に説明してれば良かったなと思いますが、ちょっとそこまでは考えが及びませんでした。

 

言い訳をすれば、朝行ってた現場が早く終わって、今日も猛暑だったしゆっくり帰るかと思っていた矢先に内勤から3回くらい電話があって、午後の仕事も15時までには終わるから行って欲しいと言われて、まあせっかくだし稼がせてもらうかと思いつつも自転車移動なので体力的にも精神的にも余裕がありませんでした。

 

まあある意味この環境は神様の采配なのだろうなと信仰的に捉えてみようと考えてみるとどうでしょうか?

 

もう一度初心に返って再出発をしたら良いんじゃない?と言われてる感じがしてます。だから題名は謙虚となって再出発としました。

 

警備の仕事もそうだし、信仰の面でもそうだし、コーチングの仕事もそうだし、なんだっていつでも失敗してもきっかけさえあればいつでも再出発は出来ます。

 

自分を研磨し続ける

最近思う事は、私は18歳で導かれて信仰歴で言ったら20年になりました。こうして割と長く信仰を持っていると、特に信仰初期辺りの教会は結構何でもありなところがあって私自身も献金をした事はありましたし万物も色々買ったりしました。

 

前線部署にいた時は終電までやる事もあったし、深夜の街を歩んだこともありました。当時は当たり前の事でしたが、いま改めて当時の事を振り返ってみるとちょっとやりすぎ、いや、かなりやりすぎていた面は実際にありました。

 

そんな背景もあって家庭連合に対して反対派や元信者が様々な事を言ってて、それでも中には本当にあり得る被害はあると思っています。それだけ当時の教会は本当に大変でした。

 

ただそれに対しては私としては何もできないし特にエックス上は匿名性もあり、何が本当で何が嘘なのかは私には判断のしようが無いし、反対派の話でも的を射ている事は多々あるので、簡単に白黒つけられる話ではありません。

 

なので私のスタンスとしては、自分ではどうする事も出来ない事に、時間を使う暇は無いので粛々と自分を研磨し続ける事

 

これだけですね。

 

粛々と創造原理に生きる事をまずは決める

 

粛々と努力

 

粛々と継続

 

粛々と積み上げる

 

粛々と実績を出していく

 

そして自分がやってきた事を実際に見せる。

 

これが、地道だけど、身近な人に対してはみ言を語るより、家庭連合の基盤を見せるより、一番説得力がある事だと思います。

 

 

目的と手段が逆転

自戒も込めて、コーチングに限らないと思いますが、少なくとも私がやっている事、それ自体は無数にある手段の中の一つに過ぎないという事が前提だという事を忘れてはならないという事です。

 

大切な事は、クライアントが問題や課題を解決してより自分らしく、幸せになれるようにサポートをするのがコーチングの目的です。ここで言う自分らしさと言うのは人の本来の姿である創造本然の姿になる事を意味します。

 

こちらのブログは創造原理に生きるというテーマでやっております。私は創造原理を突き詰めていけば最後には世界平和に繋がると考えます。人間が3大祝福の成就それが神様の夢であり、それを実現するためにお母様はお父様が聖和された後も中断無き前進をされてきました。

 

そして私も微力ながら神様の夢の実現に向けて歩んでいく、その目的観に意識を置いたら、関係のない事をどんどん断捨離していく事が必要だと考えます。

 

世界の平和は家庭から

 

家和万事成

 

どちらも聞いた事のある言葉だと思います。お父様のみ言と韓国のことわざです。私はこの2つの言葉を常に心に秘めながら生活し、コーチングしていきます。

 

最近の私の行動を振り返ると、前進していない時あるいは過去にとらわれている時は、自分と何の関係のないニュースとかゴシップ記事と呼ばれる内容に意識が向いて、文句言ったりします。

 

逆にやはり前進、前を向いて目標に向かう姿勢があるとそこに集中するので、余計な事を考えないで済みます。なのでいつも自分と向き合い、今の自分はどうなのかをチェックしていくとたとえ失敗してもそれは積みあがるものだと思います。

 

時間は使い方を誤るとあっという間に過ぎ去っていきます。ブログをご覧になった方は是非自分と向き合ってみてください。そうすれば、時間の使い方を見直し、より有意義な生き方ができるかもしれません。