一食口として創造原理に生きる

信仰、創造原理、教会の事、日々感じた事を書いていきます。

今だからこそ堂々と

コーチングの未来フォーラムで、常に意識する事、大切に思う事はなにか?常に動機を正していく、神様に祈りながら事を進めていく、それが基本の基だと改めて思います。

 

食口の強みは底なしの人の良さであると、ある意味それが一番大事で、言うなれば実体で示す事が自然だなと思います。

 

今は信仰を問われる時期です。改めて自分を振り返って本物しか残らないかなと感じます。

徒然草

毎日少なくともブログにて日々の感じた事を書いていってます。

昨日仕事で、ちょっと反省点があったので今日はそれを改善してみた。警備員の仕事はもう10年を過ぎてここから抜け出すのに力がいるこの頃です。それでも先日成長コーチングをうけて新たなきっかけとして再出発を切りました。

 

新しく目標を立ててみる。それは毎週1~2回程度のコーチング練習としてやろうと考えました。と言うのはまだまだスキル的に未熟でもっと磨かないと自分に自信が持てないかなと考えたからです。

 

あのコーチングの場は守秘義務があり、いわば自分とコーチだけの空間で、どうしたら安心安全な落ち着ける場として成り立たせるかがコーチの役割かなと思います。

 

接しやすい空間、話しやすい空間、いつまでも居たくなる空間、そんな場所を目指してスキルを高めていこうと思います。

 

それを地道に続けて行けば、クライアントが来た時も今までやってきた事が自身につながりクライアントにとって最高のセッションになっていく事が可能かと考えます。

 

それが相乗効果を生んで軌道に乗っていく事に繋がるのかなと思います。

自分の創造理想とは?

常に意識に置いておくものと言えばなにか?

 

それは神様の息子、娘としての私、天一国主人として創造原理に生きるという事を決定する事が大切だと常々感じます。逆にそれが無いと過去に囚われてしまって前に進む事が出来ないのだと思います。

 

本然の私はどんな姿かなぁと思い浮べながら生活していく事、それはいわば潜在意識にオーダーをかける事だと思います。

 

さてこれからコーチクライアントの相互練習に入ります。これをきっかけの一つとしてまた前進して、天一国主人として堂々と生きていきます。

天軍の歓声が聞こえる

今日はとあるマラソンの近くで雨風がひどい中仕事をしていて、寒さに耐えつつ私の立っている後ろの方で何か歓声が聞こえてきます。それは観客が選手を激励している声でした。

 

選手が走り去るたびにその歓声は聞こえ、私はこの雨風は今の家庭連合の状況を表し、歓声はあたかも、天使天軍の歓声に聞こえる様な気がしました。

 

私たちは叩かれてその場で倒れてしまう時も多々あります。報道を見るたびに倒れてしまう事もあります。

 

それでも、七転び八起き本当に最終的に立ち上がったものが勝つのだと思います。

七転八倒それでも立ち上がるものは

先日解散請求の報道があったので結構気が滅入るその時にちょうど相対者から天心苑祈祷会に参加しようと言われて、急遽いく事を決めました。

 

結論から言って参加して本当に良かった。祈りの力を実感しました。多くの食口が参加した祈祷会でしたが、大教会長の力強い祈りに私の祈りにも力が入り、周りもそうでしたが大きな声で叫ぶように祈る事が出来たのは一体何年ぶりだろうか?

 

私はこの時は、新トレの次、実トレに行く前みんなで夜河川敷に行って決意の祈りを捧げた、あの時を思い出しました。そこはこの道を行こうとあの時参加した誰もが決意した、あの瞬間でした。

 

私たちのこの道は、あまり理解されない道です。だからこそ行く価値があるのだと思います。

 

祈祷会で感じた事は、他の誰のものでもなく、ただ我と神様との関係です。私たちはあまりにも他の人の目を気にしすぎな部分は多くあると思います。

 

こうして今家庭連合がたたかれる前までは、普通に生活してきて、正直み旨に関して中途半端になっていた部分は確かにあって、心にはもっとできる事があるだろうと思いつつもあまり行動にしてこなかったと感じます。これに関しては私は隕石が海に落ちて発生する津波のごとく、いみじくも自分の信仰に正面から向き合う機会となりました。

 

それが今では多くの食口のみならず、なんとこれを乗り切っていこうと決意を新たに立ち上がり頑張ってます。

 

どんなことがあっても、他責しないで神様の夢である創造原理の世界に生きると心に決めてさらに頑張っていきたい

悩んでも良いけれど

今日は夜勤明けでちょっと疲れが見える一日でした。(10月9日)今も雨が降っていてもう完全に夏も終わる雨になりそうです。

もう解散したガーネットクロウと言うバンドがいたのですがその曲で夏の終わりの長い雨を思い出しました。

振り返れば私は昔からメジャーな曲はほとんど聞かなかったなと思います。ガーネットクロウもコナンの初期の主題歌など歌ってましたが、ほとんど知っている人は少ない感じがします。その中でもさらに何故かB面の方をよく聞いていたのを思い出します。

 

そんな事もあってか、なんとなく普通とはなんとなく逆張りな生き方を選んで来たように思います。

 

母親が生前は生長の家の信仰を持っていたので、私自身も子供の頃はそこに連れられて行っていました。だからなのか、宗教には抵抗が無いので、駅で声かけられてその後に証された時もすんなり受け入れる事が出来たのかもしれません。

 

今は、ここまでネガキャンが展開されてますが、最近思うのは、世間一般はメディアでしきりに印象が悪い家庭連合が解散になろうと自分と一切関係ないから簡単に賛成するでしょうね。こうしたなかで世論調査が解散に賛成なのは別に今更驚く事では無いでしょう。

私も信者でなければ、よくわからない団体だから関わらない様にしようとするでしょうし。

 

しかし現役信者なので、かなり関係の深い事案なので無視する事はできません。しかし仮に解散になったら信仰を辞めるかと言ったらどうか?

 

それは否です

 

解散になっても家族の関係は切れる事も無いし、教会と言う組織とは関係なく私は一人の日本国民として、仕事も納税も普通にしているのでものすごく困る事は無いと思います。この期間は、多くの食口にとって信仰を見つめなおす機会になっているのだと思います。

 

今までの受け身的信仰観から、本物の天一国主人として主体的に生きる信仰観になっていけるかどうかが、今後を大きく左右する事になるかなと私は思います。